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ひとさらいという職業

子どもは、なぜ奪われ、売られてきたのか。実在事件、歴史、社会構造、日本の過去と現在から読む。
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港、古い台帳、地図、パスポート、スマートフォンを重ねた人身売買の歴史を象徴するイラスト
子どもが消えたあと、家族の時間は止まる。だが市場だけは動き続ける。

01. 深圳の路地で、四歳の子が消えた

中国・深圳、2007年10月。孫卓という四歳の男の子は、両親の店の前から連れ去られ、約1700キロ離れた山東省の家庭へ渡された。

肉まんの湯気が立つ店先で、父親の孫海洋は働いていました。中国南部の大都市、深圳。地方から出てきた人びとが小さな店を開き、子どもを育て、少しずつ暮らしを積み上げていく街です。

2007年10月9日、その日も四歳の息子、孫卓は店の前にいました。父親の目の届くはずの場所。近所の人もいる。車も人も通る。誘拐という言葉が似合わない、生活のすぐそばでした。

しかし、男が近づきます。報道によれば、男は玩具で子どもを誘い、孫卓を連れて行きました。隣人は、子どもが楽しそうにしていたため親戚か何かだと思った、と語っています。ひとさらいは、叫び声と暴力だけで始まるわけではありません。子どもが警戒しない顔で近づき、周囲の大人が異変だと気づく前に、日常の中へ溶けていきます。

ほんの数分前まで、そこにいた。父親が振り返れば見えるはずだった。だが、子どもは消えた。残ったのは、店の湯気と、名前を呼ぶ声だけだった。

孫卓は、山東省の家庭へ渡されました。警察はのちに、彼がすでに二人の娘を持つ夫婦の「三人目の子」として育てられていたと説明しています。つまり、彼はその日に殺されたわけではありません。別の家で、ご飯を食べ、学校へ行き、別の親を親だと思って育ちました。

それが、この事件の残酷さです。死ではなく、人生の上書き。名前、方言、家族の記憶、幼い頃の写真、父母の声。四歳の子どもから、それらが少しずつ遠ざかっていく。本人は生きている。だが両親にとっては、毎日、同じ子どもがいない。

孫海洋は店の看板を変えました。そこには、息子を探すための懸賞金と、孫卓の写真が掲げられました。肉まんを売る店は、いつしか「息子を探す店」になりました。情報提供の電話は何度も鳴りました。中には嘘や詐欺もあった。それでも父親は探し続けました。金を使い、時間を使い、人生を使いました。

十四年後の2021年、DNA鑑定で孫卓は見つかります。再会の場で、父と母は泣きながら息子を抱きしめました。けれど、そこにいたのは、両親の記憶の中の四歳児ではありません。十八歳になった青年です。母親より背が高くなり、山東省の土産を持って現れた青年です。

報道によれば、再会直後の孫卓は、実の両親のもとへ戻ることに戸惑いを見せました。無理もありません。彼にとって十四年とは、奪われた時間であると同時に、自分が生きてきた時間でもあります。買った側の家庭に愛情があったとしても、最初の入口が犯罪である事実は消えません。だが、子ども本人の心は、法律ほど簡単に線を引けない。

この事件の怖さ:子どもが売られるということは、単に一人が移動することではありません。実の親の人生、買った家庭の人生、そして子ども本人の記憶が、十四年かけて絡まり、ほどけなくなることです。

孫卓は戻ってきた「幸運な例」です。それでも、彼に返されたのは十四年前の人生ではありませんでした。幼稚園の送り迎え、小学校の入学式、反抗期の最初の口答え、家族写真、病気の夜。両親が欲しかったものは、再会の抱擁だけではなかった。四歳から十八歳までの、二度と戻らない日々でした。

この物語を中国の特殊な事件として片づけると、見誤ります。日本の近年報道では、子どもが通りからさらわれて売買される型の事件は目立ちません。だからこそ安心してしまう。けれど、人間社会は、子どもを商品にする条件がそろえば、どこでも同じ顔を見せます。貧困、孤立、跡継ぎを欲しがる家、女児を軽く見る価値観、警察に届かない地域、買い手を罰しない空気。そのどれかが重なった時、子どもは突然「誰かの子」から「誰かが欲しがるもの」へ変えられてしまいます。

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02. 「誘拐」ではなく「仕入れ」と呼ぶ者たち

子どもを売買する側は、感情ではなく流通で考える。どこから集め、どこへ運び、何に使えば金になるか。

「ひとさらい」という言葉から想像するのは、路地で子どもを抱えて走る犯人です。もちろん、そうした暴力的な拉致もあります。しかし、子どもの売買の多くは、もっと静かに始まります。

「都会で学校に行かせてあげる」「店を手伝えば給料を送れる」「親戚の家で面倒を見る」「結婚すれば暮らしが楽になる」「芸能の仕事がある」「スマホで稼げる」。子ども本人をだますこともあれば、親をだますこともあります。貧しい家の親に前金を渡し、借金の形にし、子どもを引き離す。親が売ったのか、だまされたのか、半分だけ知っていたのか。その境界は、現場ではしばしば濁ります。

子どもは、大人よりも支配しやすいと見なされます。抵抗する力が弱い。助けを求める言葉を持たない。自分に何が起きているか理解できない。家族に迷惑をかけたくないと思う。大人に「お前が悪い」と言われると信じてしまう。買う側から見れば、それは「扱いやすさ」になります。

国際法上の要点:子どもの場合、暴力や脅迫がなくても、搾取を目的として募集、移送、引き渡し、受け入れをすれば人身取引になり得ます。子どもは有効な同意をできる立場にないからです。

市場が求めるのは、子どもの「労働力」だけではありません。小さな身体、従順さ、年齢の若さ、戸籍、養子としての価値、結婚相手としての価値、物乞いの同情を引く力、兵士として洗脳しやすいこと、犯罪の実行役にしても責任を押しつけやすいこと。子どもであること自体が、値段の理由になります。

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03. 誰が子どもを売るのか

怪物は外から来るだけではない。貧困、借金、慣習、家父長制、戦争、行政の弱さが、子どもを家庭の外へ押し出す。

読者が最初に感じる怒りは、「なぜ親が子どもを売るのか」という問いかもしれません。その怒りは自然です。だが、構造を見なければ、同じことは繰り返されます。

ある家では、借金があります。ある村では、学校が遠い。ある地域では、娘は家の負担と見なされる。ある国境地帯では、戸籍のない子どもがいます。ある紛争地では、親が死に、親戚も行方不明です。ある家庭では、継父や親の交際相手が子どもを支配している。そこへ仲介人が来て、「この子を預かれば金になる」「都会で働かせれば仕送りできる」と言う。

子どもを売る人間は、いつも犯罪組織の幹部ではありません。親、親戚、近所の人、村の顔役、雇い主、宗教者、教師、恋人、オンラインで知り合った相手。身近な大人が、最初の売り手になることがあります。子どもにとって最も安全であるはずの関係が、最初の取引場所に変わるのです。

貧しさは、人を必ず悪人にするわけではありません。しかし、貧しさは「ありえない選択」を、今日の飯のための選択に見せることがあります。

だから、子どもの人身売買は「悪人を捕まえる」だけでは終わりません。買い手がいる。仲介人がいる。黙認する地域がある。警察に届けても動かない行政がある。戸籍や出生登録がないため、いなくなったことすら記録されない子がいる。社会のどこかが、子どもを一人の人間ではなく、家計の調整弁として扱い始める。その瞬間、ひとさらいの仕事は成立します。

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04. 子どもは何に使われるのか

子どもの売買は、一つの目的に収まらない。性的搾取、労働、結婚、物乞い、犯罪、兵士、養子、臓器。市場は子どもの弱さを用途別に切り分ける。

UNICEFは、子どもの人身売買の被害者が、工場、建設現場、家庭内労働、路上の物乞い、農場、ホテルや飲食、性産業、戦争、犯罪行為などに使われると説明しています。これは遠い例外の一覧ではありません。世界のどこかで、今日も実際に起きている用途です。

少女は、性的搾取、強制結婚、家事労働に落とされやすい。客を取らされる、店に閉じ込められる、年上の男の妻として買われる、家の中で無給の使用人にされる。露骨な描写をしなくても、この現実の残酷さは十分です。子どもの身体は、本人のものではなく、買った側の都合で使われるものにされます。

少年は、農場、鉱山、漁船、工場、建設、物乞い、薬物運搬、窃盗、詐欺、武装勢力に使われることがあります。UNICEFは、2005年から2022年にかけて、武装勢力や軍に利用された子どもが確認できるだけで10万5000人を超えるとしています。実数はもっと多いと見られています。

近年は、オンライン詐欺拠点も新しい檻になりました。「ITの仕事」「通訳」「カスタマーサポート」と言われて連れて行かれ、到着後に監禁され、恋愛詐欺や投資詐欺の実行役にされる。子どもや若者は、加害者にされながら被害者でもある状態に置かれます。

子どもが狙われる理由:安いからではありません。支配しやすいからです。逃げ道を知らず、自分を責め、家族を守ろうとし、大人の言葉に従ってしまう。その性質が、犯罪者には利益に見えます。

さらに暗い用途として、違法養子、強制妊娠、臓器売買も報告されています。臓器目的の人身売買は検出例としては少ないものの、国連は2017年から2023年にかけて少なくとも25か国から175件以上の事例が報告されたとしています。子どもに限った数字ではありませんが、人間が身体の部品として見られるところまで市場が行くことを示しています。

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05. 末路。戻る子、戻らない子、戻っても戻れない子

子どもの人身売買の終わりは、救出で終わらない。戻ってきた後に、失われた時間、身体、信頼、学び直しが残る。

連れ去られた子どもの末路は、一つではありません。ある子は戻らない。ある子は別の国で名前を変えられる。ある子は働かされ、病気になり、捨てられる。ある子は犯罪をさせられ、警察に見つかった時には「被害者」ではなく「加害者」として扱われる。ある子は保護されるが、家に帰れない。帰っても、村の目が怖い。家族が受け止められない。

性的搾取の被害を受けた子どもは、身体の傷だけでなく、「自分は汚れた」「自分が悪かった」と思わされることがあります。労働搾取の子どもは、学校に行く年齢を過ぎ、読み書きや計算の機会を失います。兵士や犯罪の実行役にされた子は、暴力を受けるだけでなく、自分も暴力を振るった記憶を抱えます。

保護された後も、生活はすぐには戻りません。医療、心理ケア、法的支援、教育、住む場所、身分証明、家族再統合。どれか一つが欠けると、子どもはまた別の搾取に落ちることがあります。人身売買の被害は、事件の日だけでなく、その後の何年にも続きます。

最も残酷な末路は、死だけではありません。生きて戻ってきても、子ども時代だけが戻らないことです。

孫卓のように戻る子は、実は例外です。多くの子は、見つからないまま年齢だけを重ねます。その家では、事件は終わりません。誕生日が来る。学年が上がるはずの日が来る。町で同じ年頃の子を見る。親は、もし生きているなら今どこで何をしているのかを考え続ける。子どもの人身売買は、本人だけでなく、残された家族の時間も奪います。

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06. 人間と人身売買はセットなのか

人類の歴史を見れば、人を商品にする社会は何度も現れる。だが、それは人間の本性だから仕方ない、という意味ではない。

「人間という生き物と人身売買はセットなのか」。この問いは、気持ち悪いほど核心に近い。人間は、他人を人間として見る力を持っています。同時に、他人を労働力、性、血筋、兵力、戸籍、借金返済の道具として見る力も持っています。

飢饉が来る。戦争が起きる。身分差が固定される。女性や子どもの権利が弱い。出生登録がない。警察が腐敗している。安い労働や性的搾取を買う市場がある。こうした条件が重なると、人間は驚くほど簡単に、別の人間を商品として扱う制度を作ります。

だから、人身売買は人間の本能というより、「人間が作る社会の失敗」です。弱い者を守る制度がない社会では、弱い者は資源になります。貧しさを放置する社会では、子どもは家計の担保になります。買う者を罰しない社会では、売る者が増えます。見て見ぬふりをする社会では、犯罪が慣習になります。

重要な視点:人身売買は、怪物の趣味ではありません。需要、貧困、差別、制度の穴、家父長制、戦争、移民の孤立が合わさった時に、社会の中から自然発生する商売です。

しかし、同時に、人間はそれを止める制度も作ってきました。奴隷制の廃止、児童労働の禁止、義務教育、出生登録、児童相談、国境管理、被害者保護、買春処罰、サプライチェーン監査。完全ではありません。それでも、人を商品にする力に対して、人を人間として戻す制度を作ってきたのも人間です。

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07. 歴史。子どもを売る社会は珍しくなかった

昔の人が今より残酷だったのではない。子どもを守る制度が弱い社会では、貧困と市場が子どもを飲み込んだ。

歴史の中で、子どもは何度も売買の対象になりました。奴隷として、徒弟として、年季奉公人として、使用人として、兵士として、花嫁として、売春宿の少女として。名前は時代ごとに違います。だが、構造は似ています。家や共同体が子どもを抱えきれなくなり、外の市場がその子を受け取る。

飢饉の時代には、子どもを口減らしとして外へ出すことがありました。家族が生き残るために、娘を奉公に出す。息子を働きに出す。親は「売った」のではなく「助けるためだった」と言うかもしれません。実際に、そう信じなければ生きられなかった親もいたでしょう。しかし、受け取る側の市場は、その痛みを利益に変えました。

地域によっては、子どもの移動が村の経済に組み込まれていました。ある村では少女を遠方の仕事へ送り出す仲介人が顔役になり、ある地域では子どもの物乞いが集団の収入になり、ある国境地帯では花嫁として少女を売るネットワークがありました。これを単に「野蛮」と呼ぶだけでは足りません。そこには、貧困、差別、女性の地位の低さ、教育の不在、買う側の需要が重なっています。

子どもを売る社会では、親の涙さえ市場の一部になります。「仕方がなかった」という言葉が、帳簿の余白に書かれるのです。

人身売買の歴史は、過去の暗黒ではありません。現代でも、強制結婚、児童労働、児童兵、物乞い、性的搾取、違法養子、オンライン搾取として続いています。名前が変わっただけで、子どもを弱いまま市場へ差し出す構造は残っています。

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08. 日本の過去。娘を売る、子を奉公に出す

日本も例外ではない。貧しい家の娘が売られ、遠い土地や海外へ送られた歴史がある。

「子どもを売る」話を、遠い国の残酷な風習として読むことはできません。日本にも、貧困の中で子ども、とりわけ娘が売られた歴史があります。

江戸時代には、公娼制度のもとで、貧しい家の娘が年季奉公の形で遊郭へ出されることがありました。親が前借りを受け取り、娘はその借金を背負って働く。表向きは契約でも、子どもに自由な同意などありません。家族を救うためという言葉の下で、少女の時間と身体が差し出されました。

近代に入っても、構造は消えませんでした。明治以降、貧しい農村の少女たちは、製糸・紡績などの工場へ安い労働力として集められました。J-STAGE掲載論文は、日本の近代化において、貧農の少女たちが低賃金・原始的な労働条件のもとで働き、その募集が人身売買に近い形をとったと指摘しています。

さらに、からゆきさんの歴史があります。19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本の貧しい地域、とくに九州西部・天草などから、多くの女性や少女が東アジア、東南アジア、シベリア、オーストラリアなどへ渡り、売春業に従事しました。研究では、親に売られたり、仲介人にだまされたりして海外へ送られた少女もいたとされています。彼女たちの送金は、家族や村の経済を支えることさえありました。

日本を見る意味:日本は「買う側の先進国」になっただけではありません。かつては貧しい家の子どもを外へ出し、娘の身体と労働を家計のために使ってきた社会でもありました。

この過去を直視すると、現代の人身売買を「貧しい国の遅れた問題」として切り捨てられなくなります。社会が貧しく、女性と子どもの権利が弱く、家族が家計に追い詰められ、買う市場がある時、どの国でも同じことが起き得る。日本はその証拠を、自分の歴史の中に持っています。

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09. 国と地域で変わる子どもの奪われ方

子どもの人身売買は、地域の弱点に合わせて姿を変える。国境、戦争、結婚市場、児童労働、オンライン犯罪。

サハラ以南アフリカや北アフリカ、中米・カリブでは、検出された人身取引被害者に占める子どもの割合が高いと国連統計は示しています。紛争、避難、貧困、出生登録の不足、児童保護制度の弱さが、子どもを見えない存在にします。見えない子どもは、消えても社会が気づきにくい。

アフリカの一部地域では、子どもが鉱山、農場、家事労働、物乞い、武装勢力に使われます。UNICEFは、武装勢力が子どもを戦闘員だけでなく、料理係、運搬係、見張り、伝令、スパイとして使うと説明しています。少女はさらに性的暴力や強制結婚の危険にさらされます。

南アジアでは、債務労働と児童労働が深く結びつきます。レンガ窯、縫製、農業、家事労働。親の借金、カーストや少数者差別、教育機会の不足が、子どもを早くから働かせる理由になります。UNICEFは、2024年時点で世界の児童労働が約1億3800万人、その3分の1超が危険有害労働に置かれているとしています。

東南アジアと中国周辺では、国境と結婚市場が絡みます。ベトナムなどから中国へ女性や少女が売られるルート、強制結婚、違法養子、性的搾取、家事労働が報告されています。英国政府のベトナムに関する資料は、ベトナムから中国へのルートが主要な人身取引ルートの一つとされ、少女が国境で誘拐・売買される事例に触れています。

中東や湾岸諸国では、家庭内労働の密室性が問題になります。子どもや若い女性が家事労働者として連れて行かれ、外出制限、賃金未払い、暴力、パスポート取り上げに遭う。家庭という私的空間は、外から見えにくい檻になります。

欧州では、移民の子どもが犯罪組織に利用されることがあります。国連は、西欧で、保護者のいない子どもが薬物の流通や軽犯罪に使われる例を挙げています。子どもは逮捕された時、被害者ではなく犯罪者として見られやすい。そこにも、ひとさらいの計算があります。

米州では、移民ルートが危険になります。中米や南米から北へ向かう子ども、親とはぐれた子ども、保護者なしで移動する子どもは、道中で性的搾取、労働搾取、恐喝、犯罪利用に巻き込まれます。国境を越えたいという希望が、支配の入口になります。

地域差の本質:ひとさらいは、地域の文化に寄生するのではありません。地域の弱点に寄生します。貧困の場所では労働、戦争の場所では兵士、国境の場所では結婚や移民、都市では性的搾取、ネットでは犯罪実行役に変わります。
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10. 数字で見る子どもの人身売買

数字は冷たい。しかし、冷たい数字でさえ、子どもが市場に飲まれていることを隠しきれない。

UNODCの2024年版グローバル報告では、2022年に各国が検出した人身取引被害者は、コロナ前の2019年と比べて25%増えました。検出された子どもの被害者は31%増え、全体の38%を占めました。2004年には13%だった子どもの割合が、2022年には38%まで上がっています。

国連のSDGs報告は、女児は主に性的搾取に、男児は強制労働や強制犯罪、物乞いなどに使われる傾向があるとしています。地域別には、中米・カリブ、サハラ以南アフリカ、北アフリカで、検出被害者に占める子どもの割合が高く、約6割に達する地域もあります。

UNICEFは、子どもの人身売買が、貧困、差別、弱い児童保護制度、有害な社会規範、武力紛争、そしてインターネットを通じた搾取によって悪化していると指摘しています。また、児童労働については、2024年に約1億3800万人の子どもが児童労働に置かれ、その3分の1超が危険有害労働に従事しているとしています。

38%という数字は、四捨五入された統計ではありません。十人の被害者が見つかった時、そのうち四人近くが子どもだった、ということです。

ただし、これらは「見つかった」数字です。子どもは、見つかりにくい。戸籍がない、学校に行っていない、移民として登録されていない、家族が警察を信用していない、本人が助けを求められない。だから、実際の数はもっと多い可能性があります。子どもの人身売買において、統計はいつも少し遅れて、暗い部屋の一部だけを照らします。

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11. 日本の現在。遠い国の話ではない

日本では、路上の誘拐よりも、SNS、家出、性的搾取、外国人労働、制度の隙間として見える。

日本で「子どもがさらわれて売られる」と聞くと、多くの人は海外の事件を想像します。しかし、日本でも子どもの性的搾取、家出児童の搾取、SNSを通じた誘い出し、児童買春、児童ポルノ、労働搾取は現実の問題です。

警察庁の人身取引統計では、2024年に認知された被害者63人の中に児童が含まれています。米国務省の2025年人身取引報告書は、日本で確認された被害者61人のうち、性的搾取では少女28人、少年7人が含まれたと報告しています。少ない数字に見えますが、子どもの被害は見つかりにくく、本人が被害だと説明できないことも多い。

日本の子どもは、見知らぬ車に乗せられるだけで危険になるわけではありません。家庭に居場所がない。SNSで優しい大人に出会う。お金が必要になる。学校にも家庭にも相談できない。そこで「泊めてあげる」「稼がせてあげる」「写真を送って」「会うだけ」と言われる。入口は誘拐ではなく、親切の顔をしていることがあります。

外国にルーツを持つ子ども、在留資格が不安定な家庭の子、貧困家庭の子、家出した子、障害のある子、虐待を受けている子は、特に支援からこぼれやすい。日本が豊かな国であることは、子どもの安全を自動的に保証しません。むしろ豊かな国には、子どもを買う側の需要が生まれます。

他人事ではない理由:子どもは「危ない国」にいるから狙われるのではありません。孤立している時に狙われます。孤立は、日本の家の中にも、スマホの画面の中にもあります。
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12. 結び。親の手を離れた瞬間に市場は口を開ける

ひとさらいは、遠い悪ではない。子どもの孤立、親の貧困、買う側の欲望、制度の穴が重なった場所に現れる。

孫卓の事件が胸を刺すのは、そこに「知らない悪人にさらわれたかわいそうな子」という単純な物語だけでは収まらないからです。子どもは生きていた。だが、十四年分の家族の時間は戻らなかった。買った家庭にも生活があり、本人にも記憶があり、実の親には消えた日のまま止まった息子がいる。そのほどけなさが、私たちの安心を壊します。

子どもの人身売買は、今に始まったことではありません。人類の歴史の中で、子どもは何度も家計の担保にされ、労働力にされ、性産業に送られ、兵士にされ、花嫁にされ、物乞いにされました。日本も例外ではありません。貧しい家の娘が売られ、奉公に出され、海外へ送られた歴史があります。

では、人間と人身売買はセットなのか。半分は、そう言わざるを得ません。人間は、制度が弱く、貧困が深く、需要があり、罰が軽い時、他人の子どもを商品にすることがある。だが、もう半分は違います。人間は、それを恥じ、止め、記録し、救い出し、法律を作り、子どもを人間として扱い直すこともできる。

「ひとさらい」は、暗い路地の怪物ではありません。子どもを一人にする社会の隙間にいる。親が追い詰められた家計の中にいる。スマホの向こうの優しい言葉にいる。安さを求める買い手の財布の中にいる。だから、これは遠い国の話ではありません。

子どもが消える時、世界から一人分の未来が消えます。残された大人にできる最初のことは、その消失を「特殊な悲劇」として片づけず、子どもを売れる社会の構造を見つめることです。
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主な参照資料

本文は、確認できる報道・国際機関・公的資料をもとに構成しています。実在事件は被害者保護の観点から、過度に露骨な描写を避けています。

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